2007年11月21日水曜日

空蟬



空蝉(うつせみ)
光源氏はどうにかして人妻空蝉と会おうとする。
だけどそれに気がついた空蝉は部屋から素早く逃げる。
同じ部屋にたまたまいた軒端萩に気がつかれてしまって、
もう引き返すことも出来ないし、なんだか悔しいからと契ってしまう光源氏。

空蝉
文字通り、セミの幼虫の抜け殻のこと。
夏になると朝の木の幹に、たくさんひっついている。
よく見るとSFチックでちょっとかっこいい。
「この布団にいたはずなのに、抜け殻(布団)だけ残してするりと逃げた人」
、セミの抜け殻に例えて歌に詠んだことから、この巻名と人物名がついた。

決して本名が「セミの抜け殻さん」なのではない。





セミなー。
セミの話なー。
蝉の話っていうとアブラゼミとミンミンゼミの話しかないわなー。



憧れのセミ!それは羽の透明なセミ!
YES!ミンミンゼミ!


・・・えーと、
なに言ってんだお前そこいらにいるぞ。
というご意見の方、あなたは関東の人ですね。

セミという奴らは案外と、分布に偏りがあるのです。

環境省 生物多様性センター

「第五回 緑の国勢調査」よりセミの分布図。
ミンミンゼミの分布 (猛烈に関東中心)
クマゼミの分布 (主に関西以西が中心)


というわけなので、
映画やドラマ、アニメなどで
「夏の昼間」の当たり前の情景のつもりで
「ミーンミーン」と鳴き声を入れても実は、
関東以外の人間には、微妙な違和感があるのです。
これに気がついてない関東の人は多い。
この首都気取りめ!送電線止めるぞゴルァ!

えーと。


関西より南西方向では、セミといったらクマゼミという、
ミンミンゼミより少し大きいセミが一般的。
クマゼミは「しゃわしゃわしゃわしゃわ」とか
「しゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃー・・・じゃーーーーーー」という感じで鳴く。
覚えあるでしょ?関西の人。
しかしこのクマゼミは近年、
箱根の関所を越えて東へ北へ、関東平野に進出中らしい。

理由は「温暖化」。


さて、日本海豪雪地帯には、
ミンミンゼミが完全にいないというわけでもなく、
声はすれども姿は見えず的な部分がありまして。
透明な羽のセミだって、
蜩(ヒグラシ)とかツクツクホウシならば
いないこともなかったけれど、
セミと言ったら「茶色い羽のセミ」が一般的だったのです。
油蝉とかニイニイゼミとか。

なので、「羽が透明なセミ」を見ると、
いまだにワクワクと興奮するのです。
うおー、透明な羽のセミ見ちゃった、と。



このミンミンゼミには
「ものすごく緑色」な固体が偶然、時々、
ごく稀に発生するらしく、
それを特に「ミカドミンミン」と呼ぶらしい。

これにいまだ出会えず。
いつか会えるのだろうかと。



そんなことを思いつつ、
「ミンミンゼミ」の「ミンミン」の部分が漢字で書けない自分に気がつく。
「油蝉」「蜩」「熊蝉」、あ、ツクツクボーシも書けない。
後半は「法師」かな?
ちょっと調べる。




・・・調べた。
「ミンミン蝉」「ツクツク法師」と書くらしい。



んじゃそりゃあああああああああああああああ。




2007年11月3日土曜日

帚木



帚木(ははきぎ)

光源氏が先輩たちと理想の女性について語り合う、
有名な「雨夜の品定め」の回。

この後しばらくの主要登場人物である人妻の空蝉と出会う。


帚木
一般的にはホウキグザという植物の事を指す。
ボザボサした植物で、
束ねて箒として使用したからそう呼ばれる。

このホウキグザの実が「畑のキャビア」とも呼ばれる
秋田名産「とんぶり」となる。

上記に関連して、
別にホウキグザ特定でなくても
「束ねて箒になるような(として使用した)植物」を
ひっくるめて
箒木と呼ぶ場合もある。

しかしながら実はここまでの説明どうでもよく、
源氏の巻タイトルの場合の箒木は、現在の長野県下伊那郡阿智村
にある「園原伏屋の檜の木」のことオンリーを指している。
この檜はボッサボサしていて、
遠くから見ると箒を立てたように見えるのだけれど、

あそこ行ってみようぜ!と近付くと
あれ?どの木だったかよくわからなくなる、
として古来より
有名で、歌によく詠まれたのです。
光源氏の場合、
近くへ行くとすっと逃げる、
そんな空蝉のことをこの木に例えて詠んだのです。

現在もこの木はありますが、行くとがっかりするのでお勧めしない。
中央自動車道の園原インターチェンジの「園原」はこの地名から由来。

園原や、伏屋に生ふる帚木の ありとは見れど逢はぬ君かな
坂上是則

箒木の 心を知らで 園原の
道にあやなくまどいかな 聞こえんかたこそなけれ
光源氏



やっと源氏香マークが使えました。
一巻から「ハズレ」扱いってどういうことよ、と。
あと、「輝く日の宮」については今は無視する。

日本で箒が似合う男性といえばレレレの人。
という風に決定してしまうので語ることがない。
そもそもこの巻のタイトル、箒と関係ないし。
檜、もしくは信州園原である必然性も感じない。
あえて言うなら空蝉イコール受領の妻。
ここには都の香りよりかは田舎臭さが少々感じられる、
現代に置き換えるなら「エキゾチックな人」とでも言いましょうか。
でも、
「遠くから目標目指してやってくると、近くへ来たら消えちゃう」
そんな対象物ならなんでもよかったのですよたぶん。
ナスカの地上絵とか近い感じじゃないかと思う。
源氏物語 巻二 「ナスカの地上絵」。


あーしょうがない。素直に巻の中身についての話にしよう。


この巻のハイライトといえばやっぱり「雨夜の品定め」です。
いや女性はむっちゃムカつくと思うのですけれど、
これは男子たるもの、青春に一度や二度は開催参加していないと、
そこで「…俺、歪んでないか?」とか「うおーわかるわかる」とか
「お前も苦労してるのね」とかいろいろ考えないと、
健全な男性になれません。

ここでは四人がそれぞれ、自分の好みや体験談を語るのですけれど、
やっぱりメイン登場人物と脇役では台詞の回数が違います。
しょうがない。
光源氏は一番若いから大体聞き役、
藤中将は「昔のいい恋の話」をする。この二人はいいとして。
プレイボーイとして名高いという設定の左馬頭、
この人はいろいろ理屈をつけますが、ちょっと庶民的。
藤式部の丞に至っては話が出来すぎなので
「ネタだろそれ」と突っ込まれています。
かわいそうだろ…。

この談義は、なかなか捨てがたい魅力を放っているのです。
覚えてる限りで列挙すると、
(つーか全く源氏物語を見ないでうろ覚えで書いているし、
 研究家でもないので細かいところは知らぬ。)

「女って、上流中流下流の出身者がいるけれど、中流ぐらいが一番魅力的だよね」
「で、中流ってどこからどこまで?いいとこの生まれが下がって庶民ぶってるのと、
 下々の出の奴が成り上がって来ているのと、どっちも中流?」
「上流上流言うけど、すぐそれを鼻にかけたりする女はダメだね」
「大したもんじゃないのに、
 自分は教養がある!っての見せびらかしたりする女、いるよなー」
「すぐ他の人の悪口言ったりとかな。ガッカリするよなー」
「恋人にしたい女と、妻にしたい女って別だよね」
「つーかもう階級も見た目とかどうでもよくね?性格が普通で、
 真面目で素直な人が結婚相手にはいいよね。
 欠点とかあっても、それより一緒にいて安心できる感じならよくね?」

ほーら身勝手と言えば身勝手だけど、耳の痛い話でしょこれ。
現代にも通じるものがありまくりで。


というかここですごく嫌な感じの人を挙げてみるのです。
上記の例から抽出しますと、
「上中下の出身関係なく、
 私は教養あるのよ!とか自慢しながら漢詩とか書いちゃって、
 でも案外つまらない出来で、でも本人気がついてなくって、
 すぐ自分の自慢するし、すぐに人の悪口言う女」

…該当する人物が作者・紫式部の身近に、一人います。
つまりこの場面、かの天敵、清少納言への遠まわしな批判なのです。

…いや直接批判ではなく、
「たまたまー、私の嫌いなタイプの女を挙げたら、
 それがあの人のこと書いてるみたいに思われちゃうのよね。
 あくまで一般論よ。というかわたしの私論よ。
 …でもみんな同意するでしょ?でしょー?やな女っているよねー。」
ということかもしれない。
それにしても紫式部、あざとし。


で、話戻すとこいつらって結局、
話がグダグダになって、結論無しで終わってくんですよ。
あるよね、そんな飲み会。

青春の通過儀礼の一環として、何度もあるよね、そんな飲み会。






2007年11月2日金曜日

桐壺




桐壺
父帝と母桐壺とのストーリー、光源氏の誕生に始まる。
母桐壺更衣の死。光源氏の元服そして結婚。
父桐壺帝の後妻「藤壺の宮」への思慕。


平安御所の後宮の、七殿五舎のうちの一つ。
正式には淑景舎(しげいしゃ)という。
天皇の日常の御座所となる清涼殿からは最も遠く、
あんまり縁起がよくない北東の方角にある。庭に桐が植えてあったことから桐壺(きりつぼ)と呼ばれる。



源氏香をとりあげてなんか書こう、とか言っといて、
いきなりこの「桐壺」には源氏香マークがないのです。
1巻と最終巻は「ハズレ」の扱いになるらしくなんだその扱いは。


現代日本において、
桐という木が生えているのをあんまり意識した人はいないと思う。
「あそこの公園に生えてたよ」とか。
箪笥の産地に行けば、結構あるのだけれど。
そう、桐といえば箪笥。あとは下駄とかお琴の材料とか、
能面のベースに使用します。

それは桐という素材が、日本に自生生産される木材の中で
最も軽い、という理由があります。だから面や下駄になります。
次に、軽いのに湿気を吸い難く、さらに割れ難い、という特徴があります。
まさに下駄であり、箪笥であり、面であり、湿気を吸い難いということは
楽器、つまり琴に向いていると思われるのです。
楽器に必要な、「振動が美しい」のかどうかはわからないけれど。
また、火にも強いそうなのです。
乾燥してて軽いのに、お前不思議だね桐。
だから金庫の内箱に使うのだとか。
ああそういえば偉そうな金庫の中って、木で出来てたかも。
そういえば桐箪笥っぽかったかも。
お前すごいね桐。
あとはあの香りだろうな、と思うのです。
「清々しい」という言葉通りの桐の香り。

さて、そんな桐なので、古来より「高貴なものの象徴」として扱われてきました。
家紋の偉さで言うと、
天皇家の十六菊関連の次が、桐紋シリーズに相当します。
残りの弓矢とか羽とかそんな家紋なんか目じゃないのです。
古来桐の木は、「鳳凰の宿り木」とされていました。
鳳凰とは簡単に言えば空想の鳥ですけれど、
ここでのニュアンス的には帝王とか世界の王とかそんな意味合いを持ちます。
だから、宮廷のグッズ(調度品、服など)には桐紋が多用されてきました。
摂関家なども、「天皇から許可されて」使用することを許されて、
(なんたって鳳凰=天皇の止まり木ですから。勝手に使用は出来ません)
のちには足利将軍や織田信長、豊臣秀吉が勅許(天皇からの直接許可)を貰って
使用しています。
有名な「太閤さんの桐」というやつです。

明治維新以降かな?終戦後かな?「勅許」は必要なくなったのですが、
それでも前述の由来から、
「天下人が使う家紋」
「臣下第一の家紋」
という印象は抜けていないのです。
現に、日本の現在の政治の最高位といえば内閣総理大臣。
総理大臣が使う紋章は依然として桐紋なのです。

首相官邸ホームページ  (右上注目)

パスポートにも桐紋使われていますし、
なにより身近なところでは、
500円玉に桐の紋が入っていますよね、ってなんだ庶民>自分
旧五百円玉はもっと「桐の家紋」という感じだったのですが、
新五百円玉はなんだか「桐の花のスケッチ」みたいになっているのです。
あの桐紋は、たいてい花の部分が3本立っているのです。
その数が「3-5-3」だと「五三の桐」、「5-7-5」だと「五七の桐」という風に
区別して、それによって偉そう度が変わったりするそうなのです。
・・・え、500円玉は高貴じゃないだろ?って?
いやいや、いやいやいや。
奴は
「日本の通常硬貨の中で最高の額面」
という、立派に桐紋の条件を満たしているのですよ。


さて、長々と桐の木の話をしてきたのですけれど、
つまり本題は「紫式部、憎い位よく考えてるなぁ」ということ。
この長い長い物語の発端となる人物、桐壺更衣はですね、
さっと書きますと、

・後ろ盾が少ない、身分がいまいちの女性
・だが透明感のある美しさを誇り、気立てがいい
・天皇がそれを気に入ってしょっちゅう通う
・お陰で他の女御らに嫌がらせを受ける
・光源氏という、ある意味高貴である意味大人物が生まれる
・若くして死んでしまう

というストーリーを、「桐壺」を舞台に展開するのです。
この桐壺という場所、冒頭で紹介しましたが「縁起の悪い、かつ不便な場所」
なので、史実ではあんまり女御や更衣の利用はなく、
で、女性たちとも遠いので、
摂政(幼い天皇を補佐する特命大臣みたいな役)の仮宿舎に使われるぐらいの用途が
多かったらしいのです。

そんな場所に、
・後ろ盾が少ない、身分がいまいちの女性
=だからこそ、
 「人気のない桐壺ぐらいにしか置いてもらえない」というリアル感。

・だが透明感のある美しさを誇り、気立てがいい
=なんたって高貴なる「桐」ですから。

・天皇がそれを気に入ってしょっちゅう通う
=「鳳凰の止まり木」ですから。

・お陰で他の女御らに嫌がらせを受ける
=場所が不便なので、
 他の女御らの部屋の前をどうしても通らないといけなかった。
 つまり、「罠をいっぱい仕掛けられる」上手な場所設定。

・光源氏という、ある意味高貴である意味大人物が生まれる
=「鳳凰の宿り木」ですから。

・若くして死んでしまう
=北東、つまり鬼門の方角で縁起が悪い。
  これは天皇家の鬼っ子、光源氏が生まれる、にも当てはまる。


第一巻の桐壺の巻って、かなりやっつけ仕事というか内容盛り沢山過ぎて、
どっちかっつーとそれ以降のキャラ設定解説の巻だとか思われがちだけれど、
実はここまで練りこんだ設定があったのですよ。

すごいよ紫式部。





2007年11月1日木曜日

源氏香について



いらっしゃいませ。
ここは私が、源氏物語の各巻名について、
だらだらと駄文を垂れ流すだけの場所です。
源氏物語に踏み込んだ研究文でもありませんし、
タイトルの源氏香についても深く語ったりなどしません。

じゃ、「源氏香」とはなんであるか。
これだけでも書いておきます。
すっごくわかりやすく書いておきます。

「香道」というものがあります。
いけばなには華道、お茶には茶道があるように、
香りを楽しむという「香道」というものがあります。
完全に様式が確立した現在の香道とかいう以前に、
昔から遊びとしての香りを楽しむ文化があったのです。
ま、いまでもあれですよ、
匂いつきの消しゴムをさっと嗅がせて
「これなんの匂いだ!?」とか、
バラエティ番組のゲームで、誰かの靴下嗅がせて、
「これは誰のだ!?」とかやるようなものです。

5つの香りを用意します。
ただしこの5つは「全部ばらばら」かもしれないし、
「いくつかは同じもの」かも知れないのです。
それを皆で嗅いで、
「1と2が同じで、あとはばらばら」
「いや2と3と5が同じだよ」
とか当てるゲーム、それが源氏香という遊びなのです。
本来は正しくお高い香木
でやるべきなのでしょうけれど、
別に肉まんあんまんを5こ並べて匂いで当てる、でも
いいと思います。
硬いこと言ってると文化は停止するのです。

で、なにが源氏かと申しますと、
このゲーム、江戸時代に成立したのですけれど、
「いや2と3と5が同じだよ」
なんていうダサい答え方はしないのです。
答えるときは「源氏香の図」に当てはめて答えるのです。

源氏香の図を自作しようと思ったけどひたすら面倒なので、
Wikipediaのリンクを貼っておくのです。

Wikipedia - 源氏香の図

さて、どう答えるかといいますと、
1から5まで、とりあえず線を引きます。



ここで、「1と2が同じ、4と5も同じ、3だけ単独」という
答えだと考えたとします。
で、横線を引きます。

これを上記の、源氏香の図に当てはめます。
28番の「野分」と同じですね。
なので答えるときは「”野分”だっ!」と答えるのです。

次に「1と4、3と5が同じだ!」と考えたとします。



線はこう引きます。
で、塗りつぶしちゃいます。


はい、39番「夕霧」ですね。
なので「夕霧でーす」と答えます。

もうひとつ行っておきましょう。
次は「1と3と4が同じ。残った2と5が同じ」という場合。




これは12番の「須磨」ですね。

このようにして、1巻と最終巻をジョーカー扱いで除いた
合計52の巻名で答えるのです。
「5つの組み合わせが52」
これは江戸時代に数学問題になっているので、
理系の人は解いた解いた。


しかしこの図形は、完結にして美しいですよね。
なので源氏香の図は染物や道具の意匠として、
いろんなところで使用されてきました。
棒を組み合わせた図形で巻名を表し、
その巻の内容を連想させることで、その図形および
その品物に意味を持たせていたのです。
「お、蛍か。」
そんな感じ。
ある意味、文学と数学の究極到達点ではないかと。

「なんでこの数字がこの巻名?」というような、
図形と巻名はなぜこの組み合わせになったか、という点は、
ずいぶんと研究されているらしいのですが、
結局回答は見つかっておりません。


「は?いちいち源氏物語の巻名で答えるのかよ。」
「そんなもの覚えてない」
いやいや、いやいやいや。
日本人として生まれて、世界最古の長編連続小説とも言われる
源氏物語の巻名54つぐらい、覚えなくてどうしますかと。
54という数字にも諸説あるのですけれど。

江戸の当時は、
源氏の巻名などはある程度の教養人には
当たり前の知識だったらしく。

あ、私ですか?
一生懸命思い出しながら、ならなんとか50ぐらいは思い出せます。
そんなレベルです。


関係ないですけれど、私の生まれ育った街は、
紫式部がちょっとだけ住んでいたことで町おこししようとして
失敗している街ですばかでー。
なんせ紫式部、親父についてやってきたはいいけれど
「田舎で嫌だ」「とにかく田舎だ」
と散々文句を言って、
危険を顧みず少ない供を連れて、
京都へ単独で帰っちゃったのですから。
浮舟の巻でも、
まるでこの世の果て、田舎の代名詞のように扱われております。

で、これ宣伝すればするほど街の恥だと思うのですよ。


…あ、そうです伝説の黄金の紫式部が突っ立ってる街です。
「住んでる奴はバカばっか」という象徴です。

ところでこの街、町名が変わっているのです。
「住吉」「蓬莱」「小松」「堀川」・・・
そう、謡曲関連なのです。

昔、能面師の出目満照を輩出したことがありますが、
大して能楽と関連深い町ではありません。
単に町名をつけた人の趣味だと思われます。
この町名、詳しいことは知らないのですけれど、
明治になってから新しくつけられたそうで。
じゃあその前は町名はどうだったのよ?と申しますと、
小さいけれど城下町ですので当然、
「馬場」「大手」というような町名はあったと思います。
で、それ以外の場所には「源氏五十四帖」の名前がついていたそうです。
(ただし、聞き伝えなので古地図などを見たわけではない。)

しかしマジっすかね?
「夕霧」とか「花散里」とか町名だったのならいいけど、
「おまえんちどこ?」「・・・末摘花」はいやだなぁ。

ま、それぐらい、
昔の人には「源氏五十四帖の巻名」は身近だった、という話。


以上、源氏香についての駄文終了。