いらっしゃいませ。
ここは私が、源氏物語の各巻名について、
だらだらと駄文を垂れ流すだけの場所です。
源氏物語に踏み込んだ研究文でもありませんし、
タイトルの源氏香についても深く語ったりなどしません。
じゃ、「源氏香」とはなんであるか。
これだけでも書いておきます。
すっごくわかりやすく書いておきます。
「香道」というものがあります。
いけばなには華道、お茶には茶道があるように、
香りを楽しむという「香道」というものがあります。
完全に様式が確立した現在の香道とかいう以前に、
昔から遊びとしての香りを楽しむ文化があったのです。
ま、いまでもあれですよ、
匂いつきの消しゴムをさっと嗅がせて
「これなんの匂いだ!?」とか、
バラエティ番組のゲームで、誰かの靴下嗅がせて、
「これは誰のだ!?」とかやるようなものです。
5つの香りを用意します。
ただしこの5つは「全部ばらばら」かもしれないし、
「いくつかは同じもの」かも知れないのです。
それを皆で嗅いで、
「1と2が同じで、あとはばらばら」
「いや2と3と5が同じだよ」
とか当てるゲーム、それが源氏香という遊びなのです。
本来は正しくお高い香木でやるべきなのでしょうけれど、
別に肉まんあんまんを5こ並べて匂いで当てる、でも
いいと思います。
硬いこと言ってると文化は停止するのです。
で、なにが源氏かと申しますと、
このゲーム、江戸時代に成立したのですけれど、
「いや2と3と5が同じだよ」
なんていうダサい答え方はしないのです。
答えるときは「源氏香の図」に当てはめて答えるのです。
源氏香の図を自作しようと思ったけどひたすら面倒なので、
Wikipediaのリンクを貼っておくのです。
・ Wikipedia - 源氏香の図
さて、どう答えるかといいますと、
1から5まで、とりあえず線を引きます。

ここで、「1と2が同じ、4と5も同じ、3だけ単独」という
答えだと考えたとします。
で、横線を引きます。

これを上記の、源氏香の図に当てはめます。
28番の「野分」と同じですね。
なので答えるときは「”野分”だっ!」と答えるのです。
次に「1と4、3と5が同じだ!」と考えたとします。

線はこう引きます。
で、塗りつぶしちゃいます。

はい、39番「夕霧」ですね。
なので「夕霧でーす」と答えます。
もうひとつ行っておきましょう。
次は「1と3と4が同じ。残った2と5が同じ」という場合。

これは12番の「須磨」ですね。
このようにして、1巻と最終巻をジョーカー扱いで除いた
合計52の巻名で答えるのです。
「5つの組み合わせが52」
これは江戸時代に数学問題になっているので、
理系の人は解いた解いた。
しかしこの図形は、完結にして美しいですよね。
なので源氏香の図は染物や道具の意匠として、
いろんなところで使用されてきました。
棒を組み合わせた図形で巻名を表し、
その巻の内容を連想させることで、その図形および
その品物に意味を持たせていたのです。
「お、蛍か。」
そんな感じ。
ある意味、文学と数学の究極到達点ではないかと。
「なんでこの数字がこの巻名?」というような、
図形と巻名はなぜこの組み合わせになったか、という点は、
ずいぶんと研究されているらしいのですが、
結局回答は見つかっておりません。
「は?いちいち源氏物語の巻名で答えるのかよ。」
「そんなもの覚えてない」
いやいや、いやいやいや。
日本人として生まれて、世界最古の長編連続小説とも言われる
源氏物語の巻名54つぐらい、覚えなくてどうしますかと。
54という数字にも諸説あるのですけれど。
江戸の当時は、
源氏の巻名などはある程度の教養人には
当たり前の知識だったらしく。
あ、私ですか?
一生懸命思い出しながら、ならなんとか50ぐらいは思い出せます。
そんなレベルです。
関係ないですけれど、私の生まれ育った街は、
紫式部がちょっとだけ住んでいたことで町おこししようとして
失敗している街ですばかでー。
なんせ紫式部、親父についてやってきたはいいけれど
「田舎で嫌だ」「とにかく田舎だ」
と散々文句を言って、
危険を顧みず少ない供を連れて、
京都へ単独で帰っちゃったのですから。
浮舟の巻でも、
まるでこの世の果て、田舎の代名詞のように扱われております。
で、これ宣伝すればするほど街の恥だと思うのですよ。
…あ、そうです伝説の黄金の紫式部が突っ立ってる街です。
「住んでる奴はバカばっか」という象徴です。
ところでこの街、町名が変わっているのです。
「住吉」「蓬莱」「小松」「堀川」・・・
そう、謡曲関連なのです。
昔、能面師の出目満照を輩出したことがありますが、
大して能楽と関連深い町ではありません。
単に町名をつけた人の趣味だと思われます。
この町名、詳しいことは知らないのですけれど、
明治になってから新しくつけられたそうで。
じゃあその前は町名はどうだったのよ?と申しますと、
小さいけれど城下町ですので当然、
「馬場」「大手」というような町名はあったと思います。
で、それ以外の場所には「源氏五十四帖」の名前がついていたそうです。
(ただし、聞き伝えなので古地図などを見たわけではない。)
しかしマジっすかね?
「夕霧」とか「花散里」とか町名だったのならいいけど、
「おまえんちどこ?」「・・・末摘花」はいやだなぁ。
ま、それぐらい、
昔の人には「源氏五十四帖の巻名」は身近だった、という話。
以上、源氏香についての駄文終了。